2007年10月6日土曜日

失明しても描き続ける画家、大阪で個展

 進行性の眼病で少しずつ視力を失い、ついに失明した。それでも画家は描き続ける。パリと京都を往復しながら活動する末冨綾子さん(44)が、失明してから初めての個展を大阪市北区梅田3丁目の梅田画廊で開いている。視力の悪化とともに画風は大きく変遷し、ロープや凧(たこ)糸を使ってデッサンした線をたどり、指先で絵画を「作る」技法にたどり着いた。

「最初にルノワールを見たときの楽しい気持ちに戻ってきました」と話す末冨綾子さん=大阪市北区梅田3丁目の梅田画廊で

 山口県に生まれ、小学生のときルノワール展を見て画家にあこがれて育った。だが高2のとき、夜に目が見えにくくなる。医者は「進行性の眼病」と告げた。「40歳ぐらいで目が見えなくなるかもしれない」。その時はピンとこなかった、と振り返る。

 武蔵野美大大学院を修了後、1990年にフランス政府の給費留学生に選ばれ、パリへ渡った。ずっとパリで活動し、画廊からも声がかかるようになったが、視力は悪化し続けた。視野が狭くなり、日常生活に不便が出てきた。

 画風も変わっていく。画面をすべて覆い尽くすような表現になり、線も力強くなった。ずっと色彩鮮やかなアクリル画だったが、石膏(せっこう)などの下地に顔料の「蜜蝋(みつろう)」を塗り、彫刻刀で削る「蜜蝋画」という表現方法を考え出した。

 子育てもあり、パリにアトリエを残したまま帰国して京都へ。夏と冬になると絵を描くため数カ月ずつパリに行く。だが視力はさらに悪化し、蜜蝋画の仕上がり状況も確認できなくなった。

 たどり着いたのが、石膏を含む下地にロープや凧糸を張り付ける技法。知人が大阪・谷町の糸問屋から様々な種類の糸を送ってくれた。これなら、手で触ることで仕上がりを確認できる。「画家としての感覚や満足感が戻ってきた」

 約1年前、まったく見えなくなった。今では片目で明るさをわずかに感じるだけだ。でも、制作意欲が衰えることはない。

 今回の個展は約50点。パリの街角の風景や、猫と遊ぶ少女、芸術家が集うホテル……。どの作品も画面いっぱいに絵があふれ、明るさが漂う。「以前は深刻なテーマを考えていたけど、今は生活の中にある身近な喜びを伝えたい」と言う。

 「見えなくなるのは致命的な打撃と思ったけれど、ほかの人にない自分だけの表現にたどり着いた。志を持ち続けていれば、自分なりの道がひらけてくる」



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